客観的であるということ
良い面を見つけてあげたい、悪口は言わない、彼(彼女)の考え方も理解してあげたい
どれも素晴らしい、ほんとに。
世の中は捉え方次第で如何様にも見える。
天国にも、地獄にもなる。
周りのみんなを受け入れられたら、ラクだよね。
でも、、、それって自分の評価軸を歪めてない?これがいつも怖い。
ポジティブであるのは良い。
でも、四谷大塚が教えてくれたみたいに客観的と楽観的は同義語じゃない。
楽観的、楽天的。そういう姿勢は間違いなく客観とは違う。
フェアじゃない。見方を良い方に、良い方にずらしていくから。
繰り返すけどそれは素晴らしいよ。周りの人、みんな気持ちよくいられるから。
でも、そうしているうちに自分は本当はどう思うのか、どう感じているのか、分からなくならない?
僕はなった。新入社員の頃、みんなに好かれたくて、みんなとうまくやりたくて、みんなを受け入れようとしてた。みんなのことを無条件肯定しようとしてた。ほとんど出来てたと思う。人間関係はすごく円滑だった。なんのトラブルもなかった。
でもその結果、ほんとに自分が尊敬しているのは誰なのか、大切にしているのは、好きなのは何なのか分からなくなった。だってみんな、全部好きなんだから。
そんなの、僕は嫌だ。
全てに客観的な自分、物事を俯瞰できる自分を捨てないでいたい。
それが自分の魅力だと思うから。
嫌いなもの、嫌いな人がいても良い。
その分だけ、好きな人に愛情や尊敬を注げれば。
その分だけ、自分が尊敬する人に近づくエネルギーにできれば。
その分だけ、嫌いな人の様になるまいと努力できれば。
何にも染まらない、染まれない、染まりたくない。青いのかな。
でも10年、20年、30年経っても同じことを言っていたいし、多分言っているんだろうと思う。
じゃあ、また。